紅き館の図書館。
着替えを済ませ、メイド長に挨拶し終えた新人メイドはそこにいた。
「とりあえず、妹様とパチュリー様に挨拶してきなさい」
メイド長にそう言われ、まずはパチュリーという魔法使いのいるここに向かったのだ。
「初めまして、今日からここで……」
「『永劫の名を持つ機械仕掛けの神』ねぇ……、あら、ごめんなさいね」
紫色の少女は読書中だった。
「初めまして、今日からここで仕えさせて頂く事になった、十六夜咲夜です」
「初めまして。私はパチュリー・ノーレッジ。多分ずっとここにいるわ」
そう言うと、紫色の少女は再び読書に戻った。
「……えっと、『久遠の果てより来たる虚無』……」
(何か呼び出したりするのかしら?)
呼び出すものが何であれ、この館を破壊するようなものでない事を願いつつ、咲夜は図書館を後にした。
「初めまして。今日から……」
「あーっ、人間だ! 食べていいの?」
咲夜の自己紹介は、レミリアより更に幼い少女の無邪気な叫びにかき消された。
「いえ、私は今日からメイドとして……」
「じゃあ遊ぼうよ!」
そう言うなり、少女は手にした杖に灼熱たる紅の焔を纏わせた。
禁忌の枝、レーヴァテイン。横に薙ぎ払われたその剣は、咲夜を真っ二つにせんと襲い掛かってくる。
さらに大量の弾幕までが降り注ぐ。
回避、左方、右方、後方。
「仕方、な、い、っ!」
昨日の晩修復した懐中時計を握りしめる。
止める程の集中は出来なかった。
だから、
「ふっ――!」
時の流れを遅らせる。
自分以外の全ての動きが緩慢になる。
空気の流れも、熱き奔流も、少女の動きも、すべからく、総てが。
「えっ……」
少女は一瞬驚いたものの、
「へぇ、そういう手品かぁ」
放つ声が妙に間延びしているのは、全てがスローモーションの世界だからである。
この能力を見てもこの程度の反応。やっぱり人間とは違うな、と咲夜は思った。
ともかく焔の剣の攻撃範囲から逃れる。
「――甘いよ」
少女が右拳を固める。
途端、懐中時計が粉々に砕け散った。
「なっ……」
せっかく直したのに……などと考えたもののそれも一瞬。すぐさま次の攻撃に備えて身構える。
「だからそんなんじゃ駄目だって!」
握った右拳を開き、何かを引っ張り出すようなモーションの後、改めて拳を握りしめた。
「っく……ぁ……!」
左足が壊れた。
咲夜はその場に崩れ落ちた。叫び出したい程の痛みが全身を襲う。
更に、弾幕の嵐が咲夜に襲い掛かる。
「ぐぅっ……!」
「アハハッ!」
少女はまた咲夜の体から「何か」を引き出した。
その「何か」を今度は組んだ両手の間に挟む。
「バイバイ」
「待ちなさい、フラン!」
「お姉様?」
ドアが開き、お嬢様の声が聞こえる。
しかし、それも遠い。
もはや痛みすら感じられない。
視界もフィルターがかかったようにぼやけている。
「咲夜! 大丈夫、咲夜!?」
「は……い…………」
そこで、彼女の意識は途切れた。
「……ゃ」
誰かの声が聞こえる。
「……くや…………さくや……」
お嬢様だ。
応えたい。しかし、声が出せない。
体が全く言う事を聞かないのだ。
「レミィ、少し離れてて」
パチュリーの声。
(離れてて……って、何をするつもりなのかしら?)
少々、いやかなり不安が湧いてきたがどうしようもなかった。
「――ケアル」
その掛け声と共に、まさかの爆発。
「パチェ!?」
「大丈夫よ。……ほら」
「何が『ほら』ですか!?……って、え?」
声が出せた。体も動く。
「咲夜!」
「申し訳ございません、初日からこんな……」
「あなたは悪くないわ。悪いのはこのバカ妖精共よ」
『すみません……』
メイド妖精が声を揃えて謝る。
「それにしてもフランの所に行かせるなんて……、今回はやりすぎよ」
「妖精は悪戯好きなの。そして限度を知らない。気をつけなさい」
パチュリーが咲夜に話しかける。
「はい。あ……」
「どうしたの?」
「懐中時計」
今のところ、懐中時計がないと咲夜は時間を操る事が出来ないのだ。
「ああ、ほら、作り直しておいたわ」
パチュリーの手には、懐中時計が載せられていた。
「あ、ありがとうございます、パチュリー様」
「まぁ、他でもないレミィの頼みだものね。材質はオリハルコン、魔術障壁もかけてあるわ」
血の流れたような紅いラインが走る銀色の懐中時計。
「お嬢様……」
「あなたのその力が気に入ったから従者にしたのよ。力が使えないんじゃ意味ないじゃない」
「ありがとうございます。さて、ご指導お願いします、メイド長っ……」
立ち上がろうとしたが、よろけてしまった。レミリアに押さえてもらわなければ転んでいたところだ。
情けないな、と昨夜は一人歯噛みした。
「咲夜、今日は休んでなさい」
「しかし……」
「無理でしょ?」
体が重い。特に左足はなんとか動く程度だ。
薬と同じで、魔法でも一気に治療すると身体に影響が出る。
だからパチュリーは「話す事が出来、体を少し動かせる程度」まで回復させたのだ。
「うっ……はい」
「分かればいいわ。ほら、寝てなさい」
そう言って、レミリアは踵を返し、部屋を出ていこうとした。
「お姉様、あの人間が起きたって本当!?」
元気いっぱいの声と共に、扉が吹き飛んだ。
「ええ。でも、もう少し静かに出来ないのかしら? それと扉は壊さないこと。後、彼女は十六夜咲夜。そこらの人間とは違うわよ」
「うぅ〜、ごめんなさ〜い」
姉による注意の嵐に、フランドールは困ったと言いたげな顔をする。
「大丈夫?」
「はい、大丈夫ですよ、フランドールお嬢様」
「よかったぁ、お姉様が気に入った人だからね、壊しちゃってたらどうなってたか分からないよ。じゃーねー!」
フランドールはドアのなくなった扉から、勢いよく出ていく。
「全く、元気な子ね」
愛しい者を見る目で、レミリア。
「では、あと一日だけ、休ませて頂きます」
「ええ、そうしなさい。一日でいいの?」
「はい、『一日』あれば大丈夫です」
咲夜は一日、を強調した。
するとレミリアはクスクスと笑った。彼女の言葉の意味に気付いたようだ。
「そうね、『一日』ね」
彼女は時を操る事が出来る。
静止した時の世界の中で眠る事は(現時点では)流石に無理だが、自分の時間だけを遅らせて眠るぐらいなら今の咲夜にも可能だ。
「明日から頑張りなさい。あなたを完全で瀟洒なメイドにしてあげる」
「はいっ、よろしくお願いします」
ああ、そうか。
咲夜は理解した。
彼女は自分を必要としてくれる者を欲していたのだ。
この方に、ついて行く――たとえ悪魔の犬と罵られようとも。
この力でお嬢様を支え、守る。
「どうしたの?」
レミリアが不思議そうに咲夜の顔を覗き込む。
「な、何でもありません」
「そう。じゃ、また後で」
そう言ってレミリアは今度こそ部屋を出ていった。
パチュリーはいつの間にかいなくなっていた。
根城――図書館へ戻ったのだろう。
「さて」
新たな懐中時計を改めて見つめてみる。
異質な力が宿っている。咲夜にもそれぐらいは理解出来た。
だが、魔の力以外の何かも宿っている――そんな気がした。
気のせいでも構わない。そんな事を考えながら、時を遅らせる。
そしてそのまま、咲夜は深い夢の底に落ちた――。